2015年3月25日水曜日

第7章 毒のないアーモンドの作り方 - 『銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎』ジャレド•ダイアモンド / Book Memo

ジャレド•ダイアモンドの銃•病原菌•鉄を読んでいます。今回は第7章、毒のないアーモンドの作り方について。

野生のアーモンドには毒があり、数十個食べれば致死量になってしまうのに対し、栽培種のアーモンドには毒がない、それは何故か?という謎を軸に思考が展開していきます。この本は常に設問が頭に来て、それを章ごとに解決してくれるので、推理小説さながらに読み進めて行けます。

これ以前の章の第6章にて詳しく説明されているのですが、まず狩猟採集民が栽培を思いつき、即座に定住生活に入ったわけではなく、狩猟採集から緩やかに農耕民に変わって行った事を前提に、最初の栽培は恐らく偶然で、そこからゆるやかに農耕生活に移行していったと書かれています。

栽培を始めるに至った最初の偶然には植物側の子孫繁栄の思惑がありました。植物にとって人間はその他の動物とともに自分たちの種子を運んでいるキャリアーに過ぎないと考えられます。植物が種子を甘く美味しい果肉で包み、色や匂いで知らせる事で動物を欺き、果肉を飲み込んだ後に動物はその種子を親木から遠く離れた場所で排泄する。植物の繁殖に動物側が使われていたのですね。そういった植物側の利己的思惑が人間の農耕化を即し、人類の反映につながったのは面白いですね。

1万年以上も前の人類は、植物のキャリアーとなり、排泄場から木々が育つのを見て、栽培を考え出したのだと思われます。
ここで新たな設問ですが、それでは何故、栽培種は野生種よりも果実が大きく、美味しいのか。それは人々が意図的ではなく、より美味しい、より大きい果実の野生種を集めていたからだろうと推測されます。大きい果実のなる種子を植え、収穫したものの中からさらに大きい個体を選別して植える。そのお陰で野生種よりも大きく美味しく果実が収穫できるようになったんですね。

しかし逆に種なしブドウや種なしオレンジのように、子孫を広い範囲に繁栄させるための植物の意図を完全に逆戻りさせてしまうようなこともあるようです。人間と植物の関係は助け合いだけでなく、こういったシニカルなことも起こり、自然と人類はやはり戦ってきたんだなあ、と思わされます。種なしブドウを食べることはそういったストーリーに思いを馳せることでもあるんですね。

最初の設問の毒のないアーモンドについてですが、これは突然変異種の選択で説明がつきます。
野生のサヤエンドウがもともとサヤからタネをばら撒いてしまう遺伝子を持っているのに対し、栽培種はサヤに入ったままです。これは人類がばら撒かれた種は効果的に集めることが出来ないが、サヤに入ったままの突然変異種は簡単に採集することができたことで説明できます。つまり意図的ではないにしろ採集民は突然変異種を原種として栽培を開始したのですね。そのおかげで僕らは美味しい豆類を食べることができます。
毒のないアーモンドも突然変異種にて説明がつきます。苦味の成分であるアミグダリンが突然変異では妨げられる働きがあり、その種子を集めて栽培したものが現在の栽培種のアーモンドであると思われます。

このように人類は意図的にしろそうでないにしろ、人類の適した種子を選び取り、そこから栽培を開始しました。勿論まだ栽培化されていない種もあり(オークなど)、また中世にいたるまで栽培化されなかったイチゴなどもあります。イチゴは中世に僧侶によって栽培化されそうで、そこにはまた人々のドラマがあるんでしょう。今手に取り、食べれる全ての食物に、そしてそれ以外のすべての物にストーリーがあるというのは凄い事ですね。

レクサスが素晴らしい車を作り、素晴らしい販売台数を叩き出しても、我々にはストーリーがまだない、と嘆く傍、ポルシェやフェラーリにはストーリーがあります。そしてストーリーとは歴史です。何かを学ぶということは歴史を学ぶということでもあります。僕も朧げでも良いので歴史を学ばないとなあ。